2024年7月3日から新札が発行されます。
20年ぶりの改刷ですね。
先日、新しい1,000円札の肖像の偉人をご紹介しました。
【新札】いつから?次の顔は誰になる?サイズは変わるの?【千円札編】
今回は新しい5,000円札の偉人は誰なのか、どんなことをしたのか調べてみました。
新5,000円札の顔は”津田梅子”
出典:新しい日本銀行券特設サイト
津田梅子は津田塾大学を創立した女性として知られていますね。
津田梅子って誰?なにをした?
女性の地位の向上、女性の自立を追求し続け、女子英学塾(現在の津田塾大学)を設立した偉人です。
6歳の時に「岩倉使節団」の一員として親元を離れ渡米、英語はもちろん、フランス語やラテン語を学びました。
梅子を岩倉使節団に入れようと考えたのは、父親の仙でした。
仙自身が、1867年に幕府の遣米使節の通訳として渡米した際に、アメリカの農業や男女平等の様子を目の当たりにし、この経験が娘梅子の渡米を後押ししました。
さて、アメリカで11年間の時を過ごし、1882年にアメリカから帰国した17歳の梅子が見たものとは。。。
「日本の女性の地位、低くない?」
時代は1882年(明治15年)。その頃の日本といえば、ようやく日本銀行券が発行されたころ。
内閣制度がスタートするなど、近代国家としての基盤作りの段階にあり、
当時の日本人女性は高等教育を受けられず、女性の社会進出どころではありません。
梅子は日本で華族女学院で教鞭を取りながらも、再び渡米しブリンマー大学へ入学しました。
大学で質の高い教育を受けて、女性にとっての教育の重要性を再認識しました。
女性教育への思い、女子英学塾の創設
ブリンマー大学在学中、梅子は自分のように学びたい女性の助けになればと考え、「日本婦人米国奨学金制度」を設立しました。
資金集めのための講演や募金活動を行い、2度目の留学から帰国したのは1892年(明治25年)のこと。
その後も二回、アメリカやイギリスに留学して、「女性の地位向上のためには専門的な知識、学問が必要不可欠だ」との強い思いを強くします。
そして1900年(明治33年)、「女子英学塾」を創設。
これまでのお行儀作法の延長のような学校ではなく、少人数方式のレベルが高い教育を目指した学校で、初年度の入学者は日本全国から集まった10名の女性。
ここから日本人女性活躍の第一歩が踏み出されたといってもよいでしょう。
まとめ
今は当たり前になっている女性への教育も、彼女たちの尽力の賜物。
お札の肖像となるに相応しい偉人です。
ちなみに、お札の肖像画には眼鏡をかけていたり、シワがあったり、髭が生えている男性が選ばれることが多いのです。これは、偽造対策でより細部まで描くため。
しかし、樋口一葉や津田梅子など女性も選ばれるようになりましたね。
なぜなら、5,000円札には、顔料変化インクや透かし、顕微鏡でしか見えない細かい文字など、高度なセキュリティ機能が採用されているのです!
技術の進歩ですね。
5,000円札を手にした際には、じっくり観察してみて!
おまけ:初めて5,000円札が出たのはいつ?
日本で最初の5,000円札は、1984年(昭和59年)11月1日に発行されました。
それ以前は、この額面の紙幣は存在していませんでした。
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